「灰よ」を交えたベルセルク 考察
↑6番目のゴッドハンド、平沢進
ベルセルクにおいて、主人公ガッツは、宿敵グリフィスを倒すことよりも、キャスカのことを優先した。
このままキャスカが幸福に暮らせればの話だが、今後ガッツとグリフィスが戦うときがあれば、それは【グリフィスがガッツを敵とみなした】ときではないだろうか。
グリフィスの目には、自身以外の全ての存在が灰のように見えているのかもしれない。一粒では何の価値もなく、
己の土台となって初めて意味のあるものだと。
だが灰はただ踏みしめられるだけではない。
縛られようとも舞い上がり、悪しき王を飲み込むのだ。
かつて、グリフィスはガッツのことを「取るに足らない存在」と捉えていた。
今もそうなのだろうか。
少なくとも昔は、【黄金時代】のときは違っただろう。
グリフィスがガッツを敵、又は共と認識したときにこそ、渇望の福王は破れるのではないだろうか。
それを考えると、やはりベルセルクは因果なストーリーだなと。
渇望の福王が破れ、本来のグリフィスが幸福になれるときはくるのだろうか…?
そして、ベルセルクは完結するのだろうか…?
『全ては三浦の画力の中に』
(読^_^;者)コレ考察ゥ?
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